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カテゴリー: 推しの逸品

これまでの発掘調査や整理作業で発見・掲載した遺物や遺構の中から,「これは」という「推しの逸品」を担当職員が紹介します。

中世の貴婦人のお墓(永吉天神段遺跡・大崎町)

今から約850年前のお墓が見つかりました。中国白磁2つ,羽釜のミニチュア土器,無銘湖州鏡(中国・宋の鏡)が副葬されていました。

喜界島の遺跡などで,女性のお墓から出土している例もあることから,当時この地域でも,身分の高い女性のお墓の可能性があります。

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(17)

編み布の跡が残る縄文時代晩期の土器(永吉天神段遺跡:大崎町)

この土器は,型に粘土を張り付けて作られています。その型から土器を外しやすいように,土器と型の間に布を敷いて作ります。その布の網目の「あと」が土器に残ります。

これらの土器は考古学の世界では,組織痕(そしきこん)土器と呼ばれています。当時の編み布の技術が分かる資料です。

公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書」(8) 「永吉天神段遺跡 第1地点」 

 

朝鮮半島の影響?(永吉天神段遺跡:大崎町)

約2,000年前の弥生時代の擬朝鮮系無文土器の一部(口縁部)です。朝鮮半島の技術的影響を受けて作られた土器と考えられています。

この土器がどのようにして,ここにたどり着いたのでしょうか? 大崎町に朝鮮半島の人が来ていたのでしょうか? 形だけ真似したのでしょうか? それとも?

 

山中にひっそりと建つお墓 (薩軍の墓:曽於市)

西南戦争時の西郷軍(薩軍)の戦死者を慰霊したお墓です。マウンド状の土盛りに自然石が建ててありますが,氏名等の刻印もなく,詳細は不明です。

以前紹介した,近くの岩川官軍墓地は墓石が整然と並び整備されていますが,ひっそりとして対照的なお墓です。

(曽於市指定文化財)

西南戦争 堡塁(ほうるい)跡(高熊山激戦地跡:伊佐市)

西南戦争では尾根や山頂に,政府軍も西郷軍も堡塁を築きました。堡塁とは,敵の攻撃から身を守って,攻撃をするための防御施設です。写真の堡塁は,全長 10,8m,最大幅 7mで,人が攻撃から隠れる胸壁(きょうへき)という壁は厚さ2,3m程度あります。高熊山では,最大級の大きさで,小隊長などの指揮者が陣取ったものかもしれません。

多くの柱穴がある竪穴建物跡跡(永吉天神段遺跡:大崎町)

弥生時代中期(約2,200~2,000年前)の竪穴建物跡です。この建物跡の特徴は,総数36本の柱穴で,北壁側に31本がほぼ3列に並び,浅いものがほとんどです。

建物内の2/3に,こんなに多くの柱があったら,暮らすのに邪魔では? と心配になります。住居でなく,別の目的の建物かも知れません。

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第1分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第2分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)

西南戦争 銃弾の跡?(高熊山激戦地跡:伊佐市)

高熊山は西郷軍が守備した陣地です。頂上の岩には,政府軍の銃弾跡と考えられる穴が残っています。

本当に銃弾跡か疑問の声もありましたが,政府軍が攻めてきた方向に弾痕跡とされる穴が多く,裏側は少ないことが判明しました。

穴は銃弾跡の可能性が高いと考えられます。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(210)「滝ノ上火薬製造所跡・高熊山激戦地跡・チシャケ迫堡塁跡群・岩川官軍墓地」

弾痕跡が多く残る面

裏側

横穴のある竪穴建物跡(永吉天神段遺跡:大崎町)

弥生時代中期(約2,200~2,000年前)の竪穴建物跡です。壁に横穴(縦約 20㎝×横約30㎝,奥行約25㎝)が掘られていました。

中から何が出てくるかドキドキしながら調査しましたが,何も出てきませんでした。何を入れていたのでしょうか。

永吉天神段遺跡

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第1分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第2分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)

弥生時代竪穴建物跡31号

建物内横穴

「土師器・充実高台椀」(石坂遺跡:日置市)

素焼きの椀です。底部は,輪状でなく柱状の高台(充実高台)になっていて,ちょっと丸みを帯びたプロポーションも特徴です。

平安時代の10世紀初頭頃のものと考えられ,当時の「薩摩の土器」とも呼ばれています。

井戸状遺構の一角から,全く欠けていない2点が出土しました。井戸の祭祀があったのでしょう。