中世の貴婦人のお墓(永吉天神段遺跡・大崎町)
今から約850年前のお墓が見つかりました。中国白磁2つ,羽釜のミニチュア土器,無銘湖州鏡(中国・宋の鏡)が副葬されていました。
喜界島の遺跡などで,女性のお墓から出土している例もあることから,当時この地域でも,身分の高い女性のお墓の可能性があります。
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(17)
編み布の跡が残る縄文時代晩期の土器(永吉天神段遺跡:大崎町)
この土器は,型に粘土を張り付けて作られています。その型から土器を外しやすいように,土器と型の間に布を敷いて作ります。その布の網目の「あと」が土器に残ります。
これらの土器は考古学の世界では,組織痕(そしきこん)土器と呼ばれています。当時の編み布の技術が分かる資料です。
公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書」(8) 「永吉天神段遺跡 第1地点」
朝鮮半島の影響?(永吉天神段遺跡:大崎町)
山中にひっそりと建つお墓 (薩軍の墓:曽於市)
西南戦争 堡塁(ほうるい)跡(高熊山激戦地跡:伊佐市)
多くの柱穴がある竪穴建物跡跡(永吉天神段遺跡:大崎町)
弥生時代中期(約2,200~2,000年前)の竪穴建物跡です。この建物跡の特徴は,総数36本の柱穴で,北壁側に31本がほぼ3列に並び,浅いものがほとんどです。
建物内の2/3に,こんなに多くの柱があったら,暮らすのに邪魔では? と心配になります。住居でなく,別の目的の建物かも知れません。
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第1分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第2分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)
西南戦争 銃弾の跡?(高熊山激戦地跡:伊佐市)
高熊山は西郷軍が守備した陣地です。頂上の岩には,政府軍の銃弾跡と考えられる穴が残っています。
本当に銃弾跡か疑問の声もありましたが,政府軍が攻めてきた方向に弾痕跡とされる穴が多く,裏側は少ないことが判明しました。
穴は銃弾跡の可能性が高いと考えられます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(210)「滝ノ上火薬製造所跡・高熊山激戦地跡・チシャケ迫堡塁跡群・岩川官軍墓地」
横穴のある竪穴建物跡(永吉天神段遺跡:大崎町)
弥生時代中期(約2,200~2,000年前)の竪穴建物跡です。壁に横穴(縦約 20㎝×横約30㎝,奥行約25㎝)が掘られていました。
中から何が出てくるかドキドキしながら調査しましたが,何も出てきませんでした。何を入れていたのでしょうか。
永吉天神段遺跡
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第1分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第2分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)