前畑遺跡(薩摩川内市城上町)出土土器
北陸地方の,縄文時代中期の土器とみられています。
小型で全体の器形はよくわかりません。半円形で横方向の隆起線文には刻みが見られます。また,コの字状に区画された隆起線文の中には格子状のシャープな沈線模様が描かれています。
20世紀の終わり頃に発見されたこの土器が,なぜこの場所で1点だけ見つかったのか?南九州に類例がなく,未だに謎です。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(56) 「前畑遺跡」
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「桐紋の瓦」(鹿児島城跡)
鹿児島城跡の発掘調査では,多くの瓦が見つかっています。軒丸瓦,軒平瓦,丸瓦,平瓦,鬼瓦等々。今回はその中から,「桐紋の瓦」(軒丸瓦)を紹介します。
「桐紋」は,桐の花や葉を模した家紋の一種で,特に豊臣秀吉の家紋として知られています。現在NHKで放送中の「豊臣兄弟!」のオープンニングにも出てきます。
見つかった「桐紋の瓦」は四七桐紋(中心に花が7つ,左右に4つ)で,17世紀前半に作られたものです。一般的な「太閤紋」の五七桐紋(中心に花が7つ,左右に5つ)とはやや異なりますが,当時の政治的関係を推測することができます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(205)「鹿児島(鶴丸)城跡」
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「鍛冶屋馬場遺跡(薩摩川内市)出土の刀」
鍛冶屋馬場遺跡で出土した古代の鉄製の刀は,長さ44㎝,幅2㎝,厚さ7mmで,重さは230gあります。
刃の部分だけでなく,柄の部分も多くが金属製となっていいます。また,柄は刀身に対してねじれていて,表面には部分的に木質が残っているところがあります。科学分析を実施したところ,実用に耐えうる製品であることが明らかかになりました。
遺跡内の10世紀中頃の洪水堆積層(Ⅴa層)と中世遺物包含層(Ⅳa層)の間にある包含層(Ⅳb層)から出土しており,同一層から出土した遺物も10世紀中頃~後半頃のものであることから,刀も同時期のものであると考えられます。
日本刀出現以前の平安時代の刀の出土例としては,東日本ではある程度の出土例が知られていますが,西日本では出土例は少なく,希少なものであるといえます。
「薩摩国府跡(薩摩川内市)出土の墨書戯画土器」(古代)
薩摩国府跡で出土した墨書戯画土器は,瓦が集積された中から出土したもので,土師器の底部の内外面に墨書きで絵や文字が描かれていました。
内面には,左側には笑顔で胸部を露出して戯れ舞っているとみられる人と,右側にはそれを眺める女性が描かれ,左側には「はか」とみられる仮名文字を見ることができます。
外面には,右側には扇子をもって中腰で烏帽子をかぶる人と,左側には「みずら」という髪型の人が描かれています。この当時,「みずら」は高貴な未成人男性の髪型であるため,それを見たことのある人物が描いたものと考えられます。
これらは,一筆でさりげなく描かれており,絵巻物に見られるような特徴があることから,絵師が描いたものの可能性が考えられます。また,仮名文字も書かれていることから,少なくとも10世紀以降(~11世紀中頃か)のものと考えられます。
当時の服装・髪型などについて,このような描写がなされている墨書土器は全国的にも希少であり,重要なものといえるでしょう。
なお,外面の戯画は,これまで白拍子の様子を描いたものとされてきていましたが,白拍子は12世紀以降のものとされているため,その可能性は高くないと思われます。
「小型丸底壺」(立小野堀遺跡)
古墳時代の南九州では,地下に横穴を掘って遺体を置く空間(玄室と言う)を作り,塞いでお墓とした「地下式横穴墓(ちかしきよこあなぼ)」という墓制があります。そのお墓が県内最多となる200基近く見つかったのが,鹿屋市串良町細山田(現在の細山田インター近く)に所在する立小野堀遺跡です。
墓の中の遺体を置く空間(玄室と言う)の多くは,何も入っていないか,剣などの鉄器が入っているかのどちらかなのですが,31号墓の1基のみ,この土器が頭蓋骨の近くに置かれていました。
小型丸底壺というコップの役割をする器種ですが,その中でも高さ約5㎝ととても小さく,飲料を飲むのにあまり適していません。現在でもお墓に水やお酒などの飲み物をお供えしますが,このお墓でも,遺体とお別れする際に飲み物をお供えしたのかもしれません。
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「土馬」(どば)小瀬戸遺跡(姶良市)
「馬の鞦(しりがい)」大坪遺跡(出水市)・新城跡(阿久根市)
「馬が描かれた陶磁器」(虎居城跡:さつま町)
「馬形陶製品」(雪山遺跡:日置市東市来町)
「貝塚」市来貝塚(いちき串木野市)・出水貝塚(出水市)
貝塚は縄文時代のゴミ捨て場のイメージがありますが,実はそこから多くの情報を得ることができます。
色々な貝殻や,土器,石器,動物の骨や人骨も見つかっています。動物の骨の中には熊の骨も見つかっていることから,縄文時代には鹿児島にも熊がいたことが分かります。
現在,令和7年4月26日(土)~7月6日(日)まで,上野原縄文の森企画展「古代人に学ぶ“MOTTAINAI(もったいない)”」で,市来貝塚・出水貝塚の剥ぎ取り資料が展示されています。1mの近距離で見られますので,どんなものが貝塚に埋まって残されているのか,じっくり観察することができます。













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